探訪 近江水の宝 醴泉の里をゆく ~慈眼寺~
2014年5月25日
2014年5月24日(土曜日)、滋賀県教育委員会主催の探訪に参加してきました。
とても天気がいい中、守山駅を起点に、中山道(守山宿)を中心とした地域を散策です。
中山道 守山宿の周辺散策
現在では、市街地に流れ、巡らされた多くの川がその面影をとどめていると言えるかと思いますが、昔はJR守山駅の北側の辺りに「醴泉(こさけのいずみ)」という甘くて美味しい水が湧き出ていた所があったという事で、ここも「近江水の宝」に関係する場所なんですね。
市街地をめぐっている川ですが、勝部神社周辺では、沈められたプランタに菖蒲などが植えられていてきれいに整備されていました。
違った時期に来ると、もっときれいなのかもわかりませんが、この時期は、田植えが行われているためか、水田のしるかきから流れる水がドロ色になってしまっていて、とても魚が棲んでいるように見えません。
今は大丈夫だと思いますが、この辺り、以前は少し大目の雨が降ると、川があふれ床下浸水なんて事もあったりして、結構大変な所だったりします。
中山道 守山宿
で、この辺り一体は、中山道経由で江戸に向かう旅人が宿泊された守山宿。
中山道沿いには、一里塚(江戸から一里ごとにこんもりと盛られていた塚)や、守山宿の本陣が構えられていた所など、車で通過するには狭い道なのですが、散策すればこそ気がつく昔の街道がどのようになっていたのかが伺える道標や、様々な史跡が点在しています。で、地名や、史跡として残っているのが普通なんですが、この守山にある一里塚は、5間四方の大きさで、こんもりと盛り土がされ、榎が植えられた形で県内では唯一残っている、県の指定交通史跡だそうです。
で、今回の探訪の中間には、びわ湖108霊場、湖南23番札所となっている東門院。当時は、お参りと朱印を頂く事に専念していましたので、ぜんぜん気がつかなかったのですが、ここには、重要文化財で、鎌倉時代とされる五重塔があったようです。(^^ゞ
で、中山道沿いの守山市街地、実は、若い頃会社からの通勤路(帰り道)にしてまして、「なんでここだけ道幅が広いんだ?」って思っていたんですが、ここは本陣があり、大名行列で隊列を整えるため、広場のようになっていたから道幅が広かったようです。
現在ここには、明治初期の町屋を利用し、中山道街道文化交流館が運営されています。
この本陣跡周辺には、薬師堂があり、ここには、源氏が戦い破れた落ち武者に関するお話がある、源内塚があります。そんなお話よりも、この薬師堂には、願い石がありそちらに方に興味を惹かれている方々が多かったようです。
で、中山道街道文化交流館から50mほど江戸よりに、、、、、
滋賀県で唯一、内閣総理大臣として名を連ねられた宇野宗佑氏の生家があります。
造り酒屋だった所を改装し、「うの家」という名前の町屋で、ちょっとシャレた感じです。(ここの方々が、選対をされていたのか......^^)
カフェや、ギャラリーなど...... この時は、奥の蔵や裏庭のようなところでギャラリー? と言うか、フリマのような感じで何件かのお店がアクセサリー等の雑貨類を販売されてました。
最後に、見出しにもなっている「慈眼寺」で、ご本尊の帆柱観音立像は、秘仏という事で、実物を見ることはできませんでしたが、写真で見せていただく事ができました。
『中国に渡り修行を行った最澄が帰国する際に乗っていた船が沈没寸前になったところを、観音様に助けられ、無事帰国できた事から、その船の帆柱に観音様を刻み安置された』
と伝えられているそうです。。。(^^ゞ
写真で見ても、船の帆柱を元に作られていると聞くと、ナルホドってうなずけるような気がしました。
散策を終え
という事で、今回は守山市街地を散策しましたが、守山市街地って単なる平地だと思っていましたが、高低差が1~2m程度あり、驚きました。うん。車でなく、歩いてみないと判らない(気づけない)部分です。
加えて、どこもそうだと思いますが、駅前って、どんどん寂れていっているって感じで、昔の栄えていた頃を知っているだけに、ちょっと寂しい感じがしちゃいました。